Fujisawa Net Museum

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宿場(しゅくば)についたばかりの旅人(たびびと)たちでしょうか。画面(がめん)右側(みぎがわ)には、駕籠(かご)から()りようとしている女性(じょせい)中央(ちゅうおう)には、三宝荒神(さんぼうこうじん)()ばれた三人(さんにん)()りの(くら)()せた馬子(まご)()いている(うま)女性(じょせい)子供(こども)二人(ふたり)()っています。 宿屋(やどや)らしき建物(たてもの)外壁(がいへき)()てかけてある看板(かんばん)に、「江戸(えど)地本(じほん)問屋(どんや) 大々(だいだい)講中(こうちゅう)」と()かれています。これは定宿(じょうやど)(ふだ)で、旅籠(はたご)定宿(じょうやど)にしているお得意様(とくいさま)である(こう)名称(めいしょう)()いたものです。太々(だいだい)(こう)大々(だいだい)(こう)代々(だいだい)(こう)とも()く)とは、伊勢神宮(いせじんぐう)参詣(さんけい)のために結成(けっせい)された信徒(しんと)集団(しゅうだん)で、旅費(りょひ)()()てておいて、くじに()たった(もの)(こう)仲間(なかま)代表(だいひょう)として参詣(さんけい)します。神宮(じんぐう)太々神楽(だいだいかぐら)奉納(ほうのう)するので伊勢(いせ)太々(だいだい)(こう)とも()いました。太々神楽(だいだいかぐら)は、一般(いっぱん)参詣人(さんけいにん)奉納(ほうのう)する(もっと)(おお)がかりな神楽(かぐら)で、江戸時代(えどじだい)御師(おんし)邸内(ていない)半日(はんにち)にわたって(もよお)されました。 喜多川月麿(きたがわつきまろ)は、歌麿(うたまろ)門人(もんじん)で、(はじ)め、菊麿(きくまろ)()(にしき)()()いていましたが、のちに喜久麿(きくまろ)月麿(つきまろ)改名(かいめい)します。美人画(びじんが)黄表紙(きびょうし)挿絵(さしえ)のある()(ほん))の挿絵(さしえ)などで活躍(かつやく)しました。

題名(だいめい)不詳(ふしょう)大々(だいだい)講中(こうちゅう)



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