Fujisawa Net Museum

資料一覧

販売(はんばい)(ぶつ)ではない私家(しか)(ばん)浮世絵(うきよえ)である摺物(すりもの)です。本作品(ほんさくひん)(ぜん)15(まい)(つづ)きのうちの1(まい)です。 作品(さくひん)(めい)にある鎌倉(かまくら)()は、徳川(とくがわ)光圀(みつくに)が、貞享(じょうきょう)(ねん)(1674)に鎌倉(かまくら)巡視(じゅんし)した見聞録(けんぶんろく)新編(しんぺん)鎌倉(かまくら)()」からきています。(おな)じく題名(だいめい)にある歌橋(うたはし)は、鎌倉時代(かまくらじだい)謀反(むほん)(うたが)われた渋川(しぶかわ)兼守(かねもり)という武将(ぶしょう)荏柄(えがら)天神(てんじん)和歌(わか)奉納(ほうのう)し、その(うた)将軍(しょうぐん)源実朝(みなもとのさねとも)(みと)められ(ゆる)された故事(こじ)からきています。その(あと)兼守(かねもり)鎌倉(かまくら)二階堂(にかいどう)(かわ)(はし)寄進(きしん)したためその(はし)歌橋(うたはし)()ばれるようになりました。一人目(ひとりめ)狂歌(きょうか)()(びと)相州(そうしゅう)雨降(あめふらし)(やま)(しる)されているように神奈川県(かながわけん)伊勢原市(いせはらし)大山(おおやま)(ざい)していたと(おも)われます。

鎌倉(かまくら)() 荏柄(えがら)天神(てんじん) 歌橋(うたはし)

元禄(げんろく)11(ねん)(1698)に出版(しゅっぱん)された版本(はんぽん)です、江戸(えど)後期(こうき)の「七福神(しちふくじん)」の選定(せんてい)(かん)する内容(ないよう)()かれています。摩訶(まか)阿頼耶(あらや)によると「七福神(しちふくじん)」のメンバーは以下(いか)となります。 1) 吉祥天(きっしょうてん) 2) 弁財天(べんざいてん) 3) 多聞天(たもんてん)(おう)毘沙門(びしゃもん)) 4) 大黒天(だいこくてん)(じん) 5) 布袋(ほてい)和尚(おしょう) 6) 南極(なんきょく)老人(ろうじん) 7) 蛭子(えびす)三郎(さぶろう) (かく)(ちゅう)についての記述(きじゅつ)にはそれぞれが(まつ)られている神社(じんじゃ)(れい)弁財天(べんざいてん)場合(ばあい)は「江州(えしゅう)竹生島(ちくぶじま)」や「相州(そうしゅう)江島(えのしま)」と()かれている)やその(ほか)()()通称(つうしょう)、また(ほか)七福神(しちふくじん)との関係性(かんけいせい)(れい)蛭子(えびす)三郎(さぶろう)大黒(だいこく)(しん)場合(ばあい)「二福神(ふくじん)」の信仰(しんこう)対象(たいしょう)として人気(にんき)(はく)した過去(かこ)など)も()べています。

日本(にほん)七福神(しちふくじん)(でん)

江戸(えど)後期(こうき)の「有卦(うけ)()」というおめでたい浮世絵(うきよえ)です。有卦(うけ)()名前(なまえ)由来(ゆらい)陰陽道(いんようどう)干支(えと)(もと)づく幸運(こううん)(おとず)れやすい年回(としまわ)りを「有卦(うけ)」といい、七(ねん)(かん)吉事(きちじ)幸運(こううん))が(つづ)くとされています。民衆(みんしゅう)宗教(しゅうきょう)のなかで()()周期(しゅうき)()りした(ひと)知人(ちじん)自分(じぶん)幸運(こううん)のために有卦(うけ)()(おく)りあう習慣(しゅうかん)(いえ)(かざ)風習(ふうしゅう)がありあました。 (ふく)()()むため「ふ」の()(はじ)まる日用品(にちようひん)(きち)(ぶつ)(えが)かれました。こちらの作品(さくひん)では七福神(しちふくじん)(たから)(ふね)()り「ふ」の(もの)(えが)かれています。(みぎ)から毘沙門天(びしゃもんてん)と「ふく寿(じゅ)(そう)(そう))」、布袋(ほてい)と「ふくろ」、恵比寿(えびす)と「ふご((ふご))」、「南極(なんきょく)老人(ろうじん)(ほし)」の二(ちゅう)福禄寿(ふくろくじゅ)寿老人(じゅろうじん)、が一人(ひとり)ずつ「ふえ((ふえ))」と「(ふみ)ひろげ」、弁財天(べんざいてん)と「ふで((ふで))」、そして大黒(だいこく)と「ふたまた(二股大根(ふたまただいこん))」がそれぞれ(えが)かれています。さらに、「ふ」ではじまる舟唄(ふなうた)宝船(たからぶね)(かたち)をとり()かれています((れい)絵図(えず)中心(ちゅうしん)から(みぎ)()かれている「… ふそくなき 出世(しゅっせ)の えん((えん))…」。

ふな(うた)()うける(いり)ふね(七福神(しちふくじん)(ふね) ふの()

江戸(えど)地誌(ちし)名所(めいしょ)について(しる)された(ぜん)20(かん)からなる地誌(ちし)です。 斎藤家(さいとうけ)徳川(とくがわ)家康(いえやす)江戸(えど)入府(にゅうふ)天正(てんしょう)18(ねん)(1590(ねん)以前(いぜん)からの名主(なぬし)であり、草創(そうそう)()(ぬし)として有名(ゆうめい)家柄(いえがら)でした。祖父(そふ)斎藤(さいとう)長秋(ちょうしゅう)幸雄(ゆきお))の(だい)から東都(とうと)名所図会(めいしょずえ)として編纂(へんさん)(はじ)まり、(ちち)(かん)(さい)幸孝(ゆきたか))、そして月岑(げっしん)幸成(ゆきなり))の三世代(せだい)()()ぎながら編纂(へんさん)発行(はっこう)しました。江戸(えど)名所図会(めいしょずえ)刊行(かんこう)()書名(しょめい)です。武蔵(むさし)江戸(えど)から相模(さがみ)下総(しもうさ)一部(いちぶ)までの地名(ちめい)由来(ゆらい)寺社(じしゃ)旧跡(きゅうせき)故事(こじ)などについて(しる)しており、当時(とうじ)から名著(めいちょ)としてしられ、現代(げんだい)でも江戸時代(えどじだい)景観(けいかん)風俗(ふうぞく)研究(けんきゅう)する(うえ)では()かせない一級(いっきゅう)資料(しりょう)です。 また月岑(げっしん)は、大田(おおた)南畝(なんぼ)編纂(へんさん)したと(つた)わる浮世絵師(うきよえし)記録(きろく)()浮世絵(うきよえ)(るい)(こう)」の増補(ぞうほ)編纂(へんさん)したことでも()られています。 挿絵(さしえ)長谷川雪旦(はせがわせったん)俯瞰(ふかん)(てき)描写(びょうしゃ)得意(とくい)とした絵師(えし)で、唐津(からつ)(はん)現在(げんざい)佐賀県(さがけん)一部(いちぶ))、尾張(おわり)(はん)現在(げんざい)愛知県(あいちけん)一部(いちぶ))の御用(ごよう)絵師(えし)でもありました。月岑(げっしん)雪旦(せったん)のコンビは(おな)じく江戸(えど)年中(ねんちゅう)行事(ぎょうじ)(しる)した「東都(とうと)歳時記(さいじき)」も刊行(かんこう)しています。

東都(とうと)名所図会(めいしょずえ)江戸(えど)名所図会(めいしょずえ)

制作(せいさく)時期(じき):文化(ぶんか)6(1809)(ねん)
板元(はんもと):森屋治兵衛(もりやじへえ)

歌麿(うたまろ)天明(てんめい)7(ねん)(1787(ねん))(ころ)には上野(うえの)忍岡(しのぶがおか)御数寄屋町(おすきやまち)()み、のち板元(はんもと)蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)(かた)寄宿(きしゅく)しています。その援助(えんじょ)()独特(どくとく)美人画(びじんが)制作(せいさく)しています。(とく)寛政(かんせい)3(ねん)(ごろ)より美人(びじん)大首絵(おおくびえ)という女性(じょせい)上半身(じょうはんしん)(えが)いた作品(さくひん)評判(ひょうばん)となります。
この作品(さくひん)()(しま)(えが)いたという判然(はんぜん)とした確証(かくしょう)はありませんが、(みぎ)の1(まい)開帳(かいちょう)文字(もじ)(はい)った提灯(ちょうちん)があり、()(しま)雰囲気(ふんいき)(ただよ)わせています。この()主題(しゅだい)美人画(びじんが)ですが、()どもの(およ)ぐさまを見物(けんぶつ)している体裁(ていさい)()っています。

喜多川歌麿 無題(江の島弁財天開帳)

題名(だいめい)不詳(ふしょう)()(しま)弁財天(べんざいてん)開帳(かいちょう)

(じゅう)()(まい)(そろい)最後(さいご)作品(さくひん)で、機織(はたお)り(はたおり)の様子(ようす)(えが)かれています。織機(しょっき)(すわ)(かみ)(くだ)した女性(じょせい)が、手足(てあし)使(つか)って(きぬ)()っており、右手(みぎて)には()(ひ)を()にしています。
本作(ほんさく)()(まい)(つづき)作品(さくひん)のうちの(いち)(まい)で、もう(いち)(まい)には養蚕(ようさん)日本(にっぽん)(ふる)くから(むす)びついていたとする歴史(れきし)について(しる)されています。
上部(じょうぶ)詞書(ことばがき)
(かいこ)(かみ)(まつ)(こと)ハむかし 軻遇突智(かぐつち)(かぐつち)埴山(はにやま)(ひめ)(はにやまひめ)に()いて (わか)(むす)()(わかむすび)を(うみ) (この)(かみ)(あたま)(かいこ)(くわ)となれり (ゆえ)日本(にっぽん)にてハ(わか)(むす)()(まつ)るへきものか 人皇(じんこう)()(じゅう)()(だい) 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう) () ()(きさき) みつから養蚕(ようさん)(たま)唐土(とうど)にてハ黄帝(こうてい)(きさき) 西(にし)(あや)()(はじめ)とする(なり)

(じょ)(しょく)(かいこ)手業(てわざ)(ぐさ) 十二(じゅうに)

女性(じょせい)たちが(かいこ)(いと)(つむ)いで(きぬ)製造(せいぞう)する「養蚕(ようさん)(ようさん)」の仕事(しごと)(はげ)様子(ようす)(えが)いた作品(さくひん)で、実際(じっさい)には(いち)から十二(じゅうに)まであるシリーズ作品(さくひん)となっています。また、(おも)(むらさき)(いろ)(ばん)使用(しよう)した「(むらさき)()(むらさきえ)」と()ばれる色調(しきちょう)作品(さくひん)です。
この工程(こうてい)は「(いと)綿(わた)(いとわた)を(えら)(えら)み()(わ)くる()」となっており、(まゆ)から()()した(いと)を、その(いろ)(しら)さや品質(ひんしつ)などに()ける作業(さぎょう)様子(ようす)(えが)かれます。
寛政(かんせい)年間(ねんかん)(おこな)われた錦絵(にしきえ)出版(しゅっぱん)()()まりにも関連(かんれん)して、歌麿(うたまろ)はこの時期(じき)(はたら)女性(じょせい)題材(だいざい)とした作品(さくひん)(おお)(えが)いています。
上部(じょうぶ)詞書(ことばがき)より)
(いと)綿(わた)(えら)(わく)() (まゆはり) (まゆはり)より(いと)をおろし (いろ)(しろ)くいさぎよきを細糸(ほそいと)のまゆとし (いろ)(くろ)きを(あら)糸乃(いとの)まゆとす 真綿(まわた)(ひい)ても上中(じょうちゅう)()をゑらみ(わか)(かたち)(つく)りて(たば)綿(わた)(いく)ばく()とするなり」

(じょ)(しょく)(かいこ)手業(てわざ)(ぐさ) (じゅう)



Page Top