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江の島の歴史
江の島歴史年表
江の島散策マップ
江の島の文化財
江の島を訪れた人々
資料種類しりょうしゅるい(大分類だいぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(中分類ちゅうぶんるい):
資料種類しりょうしゅるい(小分類しょうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(大分類だいぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(中分類ちゅうぶんるい):
時代じだいと場所ばしょ(小分類しょうぶんるい):
作者さくしゃ(50音分類おんぶんるい):
作者さくしゃ:
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『本朝(ほんちょう)廿(にじゅう) 四孝(しこう)』では対立(たいりつ)する武田家(たけだけ)と長尾(ながお)家(け)に将軍(しょうぐん)暗殺(あんさつ)の疑(うたが)いがかかり、両家(りょうけ)は嫡子(ちゃくし)の首(くび)を差(さ)し出(だ)さなければなりません。三段目(さんだんめ)で長尾(ながお)家(け)は嫡子(ちゃくし)の景勝(かげかつ)に似(に)ている軍師(ぐんし)山本勘助(やまもとかんすけ)の息子(むすこ)の横蔵(よこぞう)を身代(みが)わりにするため家来(けらい)にしようとします。横蔵(よこぞう)の老母(ろうぼ)は景勝(かげかつ)の家来(けらい)になるようにいいますが、実(じつ)はすでに武田(たけだ)方(かた)に仕(つか)えているため身代(みが)わりになれないと横蔵(よこぞう)は明(あ)かします。そして、三段目(さんだんめ)の終(お)わりに横蔵(よこぞう)は亡父(ぼうふ)の名(めい)山本勘助(やまもとかんすけ)を継(つ)ぎます。本図(ほんず)では四代目(よんだいめ)三枡大五郎(みますだいごろう)が演(えん)じる山本勘助(やまもとかんすけ)を描(えが)いています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 御油(ごゆ) 山本勘助(やまもとかんすけ)(四代目(よんだいめ)三桝(みます)大五郎(だいごろう))
本作品(ほんさくひん)の背景(はいけい)には、江戸(えど)湾(わん)に面(めん)する神奈川(かながわ)宿(しゅく)の風景(ふうけい)が、手前(てまえ)には五代目(ごだいめ)市川海老蔵(いちかわえびぞう)(七代目(ななだいめ)市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう))演(えん)じる渡守(わたしもり)頓(とん)兵衛(べえ)が描(えが)かれています。頓(とん)兵衛(べえ)は、由良(ゆら)兵庫(ひょうご)、おふねと同様(どうよう)に歌舞伎(かぶき)『神霊(しんれい)矢口渡(やぐちのわたし)』の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)です。頓(とん)兵衛(べえ)とおふねは親娘(おやこ)の関係(かんけい)ですが、褒美(ほうび)のために新田(にった)義峰(よしみね)を捕(と)らえようとする強欲(ごうよく)な父(ちち)・「頓(とん)兵衛(べえ)と、自分(じぶん)の命(いのち)を犠牲(ぎせい)にして、好(す)きになった新田(にった)義峰(よしみね)を救(すく)おうとするおふねは、対照的(たいしょうてき)な二人(ふたり)として描(えが)かれます。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 神奈川(かながわ)駅(えき) 渡守(わたしもり)頓(とん)兵衛(べえ)
鳴海(なるみ)(No.22)の背景(はいけい)には鳴海(なるみ)の名物(めいぶつ)有松絞(ありまつしぼり)を販売(はんばい)する店(みせ)を、宮(みや)(No.23)の背景(はいけい)には、熱田神宮(あつたじんぐう)での祭事(さいじ)の様子(ようす)が描(えが)かれていますが、これは歌川(うたがわ)広重(ひろしげ)の保永(ほえい)堂(どう)版(ばん)東海道(とうかいどう)を引用(いんよう)しています。No.23の手前(てまえ)に描(えが)かれた人物(じんぶつ)は、八代目(はちだいめ)市川(いちかわ)団十郎(だんじゅうろう)演(えん)じる景清(かげきよ)で、景清(かげきよ)は平家(へいけ)に仕(つか)えた勇猛(ゆうもう)な武士(ぶし)でした。宮(みや)には景清(かげきよ)が隠(かく)れ住(す)んでいたという伝説(でんせつ)があり、景清(かげきよ)を奉(たてまつ)った社(しゃ)もあるため、見立(みたて)として描(えが)かれたと思(おも)われます。No.22の人(ひと)丸(まる)は、景清(かげきよ)の娘(むすめ)として歌舞伎(かぶき)や謡曲(ようきょく)に登場(とうじょう)します。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の内(うち) 鳴海(なるみ) 人丸(ひとまる)
曽我(そが)兄弟(きょうだい)の仇討(あだう)ちを題材(だいざい)とした「曽(そ)我物(がもの)」の歌舞伎(かぶき)演目(えんもく)に登場(とうじょう)する男伊達(おとこだて)の梅沢(うめざわ)小五郎(こごろ)兵衛(べえ)を描(えが)いています。扮(ふん)する役者(やくしゃ)は出版(しゅっぱん)時(じ)にはすでに故人(こじん)であった四代目(よだいめ)中村歌右衛門(なかむらうたえもん)です。 背景(はいけい)には大磯(おおいそ)宿(しゅく)と小田原(おだわら)宿(しゅく)の途(と)中(ちゅう)にあった間(あい)の宿(しゅく)の梅沢(うめざわ)(現在(げんざい)の神奈川県(かながわけん)二宮町(にのみやまち))です。当時(とうじ)は茶屋(ちゃや)が並(なら)ぶ休憩所(きゅうけいしょ)として繁栄(はんえい)していたそうです。
東海道(とうかいどう) 大磯(おおいそ) 小田原(おだわら)間(かん) 梅澤(うめさわ) 小吾郎(こごろ)兵衛(べえ)
描(えが)かれた役者(やくしゃ)は中村(なかむら)翫(かん)太郎(たろう)で、役(やく)はNo. 5のおこまと同(おな)じ嘉永(かえい)4年(ねん)(1851)『世界(せかいの)花(ばな)小栗(おぐり)外伝(がいでん)』の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)、有(あり)原屋(わらや)業平(なりひら)です。稀代(きたい)の美男子(びだんし)「在原業平(ありわらのなりひら)」になぞらえた名前(なまえ)になっていますが、こちらは“自称(じしょう)”美男子(びだんし)で、劇中(げきちゅう)に登場(とうじょう)する万屋(よろずや)という宿屋(やどや)の娘(むすめ)、お駒(こま)に恋慕(れんぼ)する道化(どうけ)役(やく)です。背景(はいけい)には茶屋(ちゃや)で一休(ひとやす)みしようとしている旅人(たびびと)など、平塚(ひらつか)ののどかな風景(ふうけい)が描(えが)かれております。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 平塚(ひらつか) 有(あり)原屋(わらや)業平(なりひら)
鬼王(おにおう)は、曽我(そが)兄弟(きょうだい)の仇討(あだう)ち物語(ものがたり)「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」に登場(とうじょう)する曽我(そが)兄弟(きょうだい)の忠臣(ちゅうしん)です。似顔(にがお)で描(えが)かれている二代(にだい)目関(めせき)三十郎(さんじゅうろう)は、刊行(かんこう)時(じ)には既(すで)に故人(こじん)であり、往年(おうねん)の名優(めいゆう)を描(えが)いた作品(さくひん)となっています。背景(はいけい)には曽我(そが)十郎(じゅうろう)の恋人(こいびと)・虎(とら)に縁(えん)のある化粧坂(けわいざか)が描(えが)かれています。また、画面(がめん)右上(みぎうえ)には険(けわ)しい山(やま)が見(み)えますが、実際(じっさい)の高麗山(こまやま)はなだらかな低(てい)山(ざん)でした。
東海道(とうかいどう) 平塚(ひらつか)大磯(おおいそ)間(かん) 化粧坂(けわいざか) 鬼王(おにおう)(二代目(にだいめ)関(せき)三十郎(さんじゅうろう))
『菅原(すがわら)伝授(でんじゅ)手習(てならい)鑑(かがみ)』において、菅丞相(かんしょうじょう)とは菅原道真(すがわらのみちざね)のことです。菅丞相(かんしょうじょう)は大変(たいへん)聡明(そうめい)で周囲(しゅうい)から尊敬(そんけい)されていましたが、菅丞相(かんしょうじょう)の養女(ようじょ)・苅屋(かりや)姫(ひめ)と帝(みかど)の弟(おとうと)・斎(さい)世(せい)親王(しんのう)が逢引(あいびき)していたことを利用(りよう)され、藤原時平(ふじわらのときひら)によって失脚(しっきゃく)させられます。ほかにも、演目(えんもく)中(ちゅう)には流罪(るざい)が決(き)まる前夜(ぜんや)に菅丞相(かんしょうじょう)が殺(ころ)されかけた時(とき)には、自(みずか)ら彫(ほ)った木像(もくぞう)が身替(みがわ)りとなり助(たす)かった話(はなし)など、モデルである菅原道真(すがわらのみちざね)に関(かん)する逸話(いつわ)が盛(も)り込(こ)まれています。 似顔(にがお)で描(えが)かれた役者(やくしゃ)は、余生(よせい)を京(きょう)から江戸(えど)へ移(うつ)り書(しょ)や茶道(さどう)を嗜(たしな)んだ三代目(さんだいめ)坂東彦三郎(ばんどうひこさぶろう)で、背景(はいけい)には京(きょう)と大津(おおつ)宿(しゅく)のあいだである大谷(おおたに)村(むら)が描(えが)かれています。 これは『役者見立東海道五十三駅(やくしゃみたてとうかいどうごじゅうさんつぎ)』というシリーズです。このシリーズは、全部(ぜんぶ)で一四〇点(ひゃくよんじゅってん)確認(かくにん)されています。作者(さくしゃ)は三代豊国(さんだいとよくに)、とても人気(にんき)の高(たか)かった絵師(えし)です。背景(はいけい)には宿場(しゅくば)の風景(ふうけい)が描(えが)かれており、手前(てまえ)の人物(じんぶつ)は、宿場(しゅくば)と関(かか)わりのある歌舞伎(かぶき)の登場人物(とうじょうじんぶつ)です。また人物(じんぶつ)は、有名(ゆうめい)な役者(やくしゃ)の似顔絵(にがおえ)で描(えが)かれています。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 大津(おおつ)京間(きょうかん)大谷村(おおたにむら) 菅丞相(かんじょうしょう)(三(さん)代目(だいめ)坂東彦三郎(ばんどうひこさぶろう))
幸右衛門(こうえもん)は『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の登場(とうじょう)人物(じんぶつ)であり、実在(じつざい)した赤穂(あこう)浪士(ろうし) 四十七士(しじゅうしちし)の一人(ひとり)、小野寺(おのでら)幸右衛門(こうえもん)秀富(ひでとみ)でもあります。吉良(きら)邸(てい)討(う)ち入(い)りの際(さい)、幸右衛門(こうえもん)は真(ま)っ先(さき)に吉良(きら)邸内(ていない)に切(き)り込(こ)み、吉良(きら)家(いえ)の番(ばん)人(ひと)を切(き)り捨(す)てるなど勇猛果敢(ゆうもうかかん)な活躍(かつやく)で知(し)られています。描(えが)かれた役者(やくしゃ)は鼻(はな)の高(たか)さが特徴的(とくちょうてき)な三代(さんだい)目関(めせき)三十郎(さんじゅうろう)です。
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)之(の)内(うち) 石部(いしべ)ノ二 幸右衛門(こうえもん)(三代(さんだい)目関(めせき)三十郎(さんじゅうろう))