販売物ではない私家版の浮世絵である摺物です。本作品は全15枚続きのうちの1枚です。
作品名にある鎌倉志は、徳川光圀が、貞享2年(1674)に鎌倉を巡視した見聞録「新編鎌倉志」からきています。同じく題名にある歌橋は、鎌倉時代に謀反で疑われた渋川兼守という武将が荏柄天神に和歌を奉納し、その歌が将軍の源実朝に認められ許された故事からきています。その後、兼守が鎌倉の二階堂川に橋を寄進したためその橋は歌橋と呼ばれるようになりました。一人目の狂歌の詠み人は相州雨降山と記されているように神奈川県伊勢原市の大山に在していたと思われます。