Fujisawa Net Museum

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東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』では、()()さんが駕籠(かご)から()ちた場面(ばめん)(えが)かれていますが、こちらのシリーズの金谷(かなや)場面(ばめん)では()()さんが(どろ)にはまっています。魯文(ろぶん)安政(あんせい)2年(にねん)(1855)に刊行(かんこう)した『東海道(とうかいどう)中栗(ちゅうくり)()()()(うま)』(挿絵(さしえ)(よし)(いく)()歌川芳直(うたがわよしなお)担当(たんとう))では浮世絵(うきよえ)のシリーズと(おな)じく金谷(かなや)道脇(みちわき)(どろ)(あし)がはまってしまい、()()さんが大騒(おおさわ)ぎしている場面(ばめん)(えが)かれています。

製作時期(せいさくじき):万延元年(まんえん)(1860)。
板元(はんもと):當世屋(とうせいや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ))

このシリーズは(だい)ヒットした十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を()して(つく)られています。各宿(かくやど)には弥次(やじ)さん、(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに(えが)き、魯文(ろぶん)各宿(かくやど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)狂歌一句(きょうかいっく)二人(ふたり)会話(かいわ)をおもしろおかしく(しる)しています。

東海道中栗毛彌次馬 金谷

東海道(とうかいどう)(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 金谷(かなや)

弥次喜多(やじきた)肩車(かたぐるま)をされて興津川(おきつがわ)(わた)っています。(かわ)江戸幕府(えどばくふ)防衛(ぼうえい)のために(はし)()けることを(きん)じていたため、人足(にんそく)()ばれる(ひと)(たす)けを()りて(わた)りました。()中左(ちゅうひだり)人足(にんそく)()っているのが()()さんです。(しぶ)(かお)をして、人足(にんそく)(なに)かを()いあいをしているようです。どうやら、()()さんの大事(だいじ)(ところ)人足(にんそく)背中(せなか)()たり、(いた)くてしょうがないというところです。

製作時期(せいさくじき):万延元年(まんえん)(1860)。
板元(はんもと):當世屋(とうせいや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ))

このシリーズは(だい)ヒットした十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を()して(つく)られています。各宿(かくやど)には弥次(やじ)さん、(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに(えが)き、魯文(ろぶん)各宿(かくやど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)狂歌一句(きょうかいっく)二人(ふたり)会話(かいわ)をおもしろおかしく(しる)しています。

東海道中栗毛彌次馬 興津

東海道(とうかいどう)(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 興津(おきつ)

()()さんと浪人(ろうにん)(なに)かのかけ()いをしています。ポーズをとってまるで歌舞伎役者(かぶきやくしゃ)のようです。どうやら旅費(りょひ)浪人(ろうにん)(すこ)しお裾分(すそわ)けしてもらおうとしているようです。最後(さいご)二人(ふたり)で「(たび)道連(みちづ)れ ()(なさ)け」と()めくくっています。
 ()(ちゅう)文章(ぶんしょう)()わりには二人(ふたり)のセリフを合理的(ごうりてき)()ける(しるし)で「▲()()浪人(ろうにん)」と()かれており、二人(ふたり)()()いのスピード(かん)(あらわ)しています。

製作時期(せいさくじき):万延元年(まんえん)(1860)。
板元(はんもと):當世屋(とうせいや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ))

このシリーズは(だい)ヒットした十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を()して(つく)られています。各宿(かくやど)には弥次(やじ)さん、(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに(えが)き、魯文(ろぶん)各宿(かくやど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)狂歌一句(きょうかいっく)二人(ふたり)会話(かいわ)をおもしろおかしく(しる)しています。

東海道中栗毛彌次馬 吉原

東海道(とうかいどう)(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 吉原(よしはら)

中国(ちゅうごく)故事(こじ)司馬(しば)(おん)(こう)(かめ)()り」の(はなし)()して、(かま)(なか)(のぞ)いた喜多(きた)さん。「司馬(しば)(おん)(こう)(かめ)()り」とは、司馬(しば)(おん)(こう)()どもの(ころ)高価(こうか)でとても(おお)きい水瓶(みずがめ)のあたりで友達(ともだち)(あそ)んでいたところ高価(こうか)(おお)きな水瓶(みずがめ)(なか)友達(ともだち)()ちてしまいます。父親(ちちおや)(しか)られることを覚悟(かくご)(びん)(こわ)友達(ともだち)(たす)けました。そんな(おん)(こう)(たい)父親(ちちおや)(いのち)(たす)けたことを()めたという逸話(いつわ)です。(かま)(なか)(はい)ってしまった喜多(きた)さんでしたが、烏帽子(えぼし)をかぶった(おとこ)にこの(かま)源頼朝(みなもとのよりとも)(えん)がある大事(だいじ)(かま)だぞと(おん)(こう)とは(ぎゃく)(しか)られてしまいます。

製作時期(せいさくじき):万延元年(まんえん)(1860)。
板元(はんもと):當世屋(とうせいや)(品川屋久助(しながわやきゅうすけ))

このシリーズは(だい)ヒットした十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』を()して(つく)られています。各宿(かくやど)には弥次(やじ)さん、(きた)さんが登場(とうじょう)し、芳幾(よしいく)二人(ふたり)のくりひろげる道中(どうちゅう)模様(もよう)をユーモラスに(えが)き、魯文(ろぶん)各宿(かくやど)のテーマとなる文章(ぶんしょう)狂歌一句(きょうかいっく)二人(ふたり)会話(かいわ)をおもしろおかしく(しる)しています。

東海道中栗毛彌次馬 沼津

東海道(とうかいどう)(ちゅう)栗毛(くりげ)彌次馬(やじうま) 沼津(ぬまづ)



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