Fujisawa Net Museum

資料一覧

制作(せいさく)時期(じき):享和(きょうわ)年間(ねんかん)(1801~04)(ころ)
板元(はんもと):(つる)(しん)

この作品(さくひん)は1(がつ)から12(がつ)までの12(まい)(そろい)制作(せいさく)されたもののうちの1(まい)で、表題(ひょうだい)はすべて(おな)じです。12(まい)全部(ぜんぶ)確認(かくにん)されず、現在(げんざい)わかっているものは、「陬月(すうげつ)正月(しょうがつ)〕)の大神楽(おおかぐら)」「睦月(むつき)(むつき〔正月(しょうがつ)〕)の女郎買(じょろかい)」「皐月(さつき)(〔5(がつ)〕)の(さかな)(うり)」「水無月(みなづき)(〔6(がつ)〕)の(みず)(うり)」「初秋(しょしゅう)多満(たま)(さい)」「名月(めいげつ)遊興(ゆうきょう)」「霜月(しもつき)(〔11(がつ)〕)の神詣(かみもうで)」「玄英(げんえい) ((ふゆ)別名(べつめい))の雑司(ぞうし)(がや)」の9(てん)です。
この作品(さくひん)商家(しょうか)女房(にょうぼう)(とも)若者(わかもの)()れて()(しま)(もうで)()かける姿(すがた)(えが)いたもので、菅笠(すげがさ)をかぶり(くろ)(えり)のコートを()手甲(てっこう)をした女房(にょうぼう)天秤(てんびん)荷物(にもつ)()()けて(かた)にかけた従者(じゅうしゃ)姿(すがた)は、当時(とうじ)近場(ちかば)(たび)典型(てんけい)(てき)なスタイルです。この作品(さくひん)()所有(しょゆう)されているところは(すく)なく、多少(たしょう)補色(ほしょく)した部分(ぶぶん)()うけられますが、貴重(きちょう)資料(しりょう)であるといえます。

喜多川歌麿 風流四季の遊 弥生の江之島詣

風流(ふりゅう)四季(しき)(あそび) 弥生(やよい)江之島(えのしま)(もうで)

制作(せいさく)時期(じき):嘉永(かえい)6(ねん)安政(あんせい)3(ねん)(1834~1856)。
板元(はんもと):越平(こしひら)

越村屋平助(こしむらやへいすけ)から出版(しゅっぱん)された「六十余州名所図会(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)」は、玄魚(げんぎょ)の「大日本(だいにっぽん)六十余州(ろくじゅうよしゅう)名勝図会(めいしょうずえ)」の目録(もくろく)大判(おおばん)錦絵(にしきえ)(たて)1(まい)の70(まい)(いち)()みからなる大作(たいさく)で、嘉永(かえい)6(ねん)安政(あんせい)3(ねん)(1853-1856(ねん))にかけて刊行(かんこう)されています。

この六十余州(ろくじゅうよしゅう)代表(だいひょう)されるように弘化(こうか)元年(がんねん)から安政(あんせい)5(ねん)(1844-1858(ねん))まで、広重(ひろしげ)48(さい)から62(さい)(ぼっ)するまでの作品(さくひん)(おお)くは(たて)(ばん)で、(とく)晩年(ばんねん)にあたる安政(あんせい)()のシリーズ「五十三次(ごじゅうさんつぎ)名所図会(めいしょずえ)」、「冨士三十六景(ふじさんじゅうろっけい)(など)で、(よこ)(ばん)とはまた一味(ひとあじ)(ちが)効果(こうか)情趣(じょうしゅ)表現(ひょうげん)しようとしたあとがうかがわれます。(かれ)は「名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)」の(ぞく)(かん)(ちゅう)(やまい)(たお)れ、安政(あんせい)5(ねん)9(がつ) 6()未明(みめい)62(さい)生涯(しょうがい)()じています。

辞世(じせい)は「車路(くるまじ)(ふで)(のこ)して(たび)(そら)西(にし)御国(おくに)(めい)ところを見舞(みまい)」とあり、死後(しご)もなお名所絵(めいしょえ)意欲(いよく)()やす風景(ふうけい)絵師(えし)広重(ひろしげ)らしい(うた)です。

歌川広重 六十余州名所図会 相模江之嶋岩屋ノロ

六十余州名所図会(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ) 相模(さがみ)()()(しま)岩屋(いわや)()(くち)



Page Top